明治19年式戸籍の見方

明治19年式戸籍の見方

明治19年式戸籍の特徴

現在取得可能な中で最も古い様式となるのが明治19年式戸籍です。家の単位に戸主を中心としてその直系・傍系の親族を一つの親族として記載しています。現在の戸籍は夫婦単位で子までの二世代が記載されますが、明治19年式戸籍では孫やひ孫、兄弟の妻や甥姪、更にその子など非常に多くの人が同じ戸籍の中に記載されていました。

 

出生・死亡・結婚・離婚・養子縁組といった事柄を主に記載していましたが、失踪者の帰還、家督相続の変更、族称の改称、勘当等も記載されていました。手書きであり、ほとんど解読不明な場合もあります。また、変体仮名や旧字体の数字等も多いので慣れないとなかなか読み取れないことも多くなります。

 

明治19年式戸籍の見本


※画面拡大できます
山田孫四郎さんが戸主の戸籍です。この戸籍から読み取れることは下記のような事柄になります。

 

戸籍の始まりと終わりに関する事柄ついて

・明治26年5月16日に孫四郎さんが父源三郎さんから家督相続した。
  ※家督相続の原因はこの戸籍からはわかりません。
・昭和8年6月13日に孫四郎さんが「隠居」の届出を行い、二男の二さんに家督相続した。
・上記の家督相続によって、同日この戸籍が除籍された。
  ※この後は同じ本籍地で戸主が山田二さんの戸籍が編製されていると推測できます。

 

個人の事柄について

・山田孫四郎さんは明治6年2月13日生まれで、父は山田源三郎さんである。
・孫四郎さんは明治30年1月23日に阿きさんと結婚した。
・孫四郎さんの母はいちさんで、弘化2年5月1日に松野榮五郎さんの長女として生まれた。
・母いちさんは、明治元年2月28日に父源三郎さんと結婚した。
・母いちさんは、明治38年9月4日に死亡した。
・長男の文治さんは明治31年4月14日生まれで、明治36年7月24日午後3時に死亡した。
・二男の二さんは明治33年3月6日生まれで、後に家督を相続した。
・長女のはまさんは明治35年3月6日生まれで、大正12年8月11日田中耕吉さんと結婚した。
・次女のくまさんは明治37年2月8日生まれで、昭和2年5月5日に池田富五郎さんと結婚した。
・三男の民作さんは明治40年4月9日生まれ。
・四男の周次さんは明治42年2月8日生まれで、明治42年2月10日に死亡した。

 

※明治19年式戸籍は現在取得できる最も古い戸籍であり、「戸籍の始まり」(戸籍が編製された理由)については記載がないケースが多くなります。これ以上遡ることは不可能なため、「始まり」を明確にする必要はありません。但し、「戸籍の終わり」については理由と日付が必ず記載されていますので、次の戸籍とつながるようにすることが必要です。

 

※上記の戸籍であれば、『昭和八年六月拾参日貮男山田二ノ家督相続届出アリタルニ依リ本戸籍ヲ抹消ス』という記載が「戸籍の終わり」を表していますので、次の戸籍の始まりは「昭和8年6月13日」となっていなければなりません。

 

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